聲の形 ネタバレ多め感想 生きること。

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オススメ度 ★★★



あらすじ


やんちゃな小学生の石田将也(松岡茉優/入野自由)はクラスメイトたちと楽しい毎日を過ごしていた。

ある日、彼のクラスに西宮硝子(早見沙織)が転校してきたことで、彼の日常は一変する。
西宮は、耳が聞こえないという障がいを持っていたのだ。

耳が聞こえないためにクラスメイトから煙たがられながらも、いつも笑っている西宮。
そんな彼女のことを石田を中心にクラスメイトたちでいじめ始める。
いじめはエスカレートし、西宮の使っている補聴器を壊したり、その反動で彼女の耳に血が流れるほどの事件にまで発展してしまう。

最終的にそれが先生たちにバレ、いじめの主犯であった石田は逆にいじめの対象となってしまう。
そのいじめは彼が中学生になっても続き、石田はすっかり心を閉ざしてしまう。

高校生になった石田は、西宮の元を訪れるのだが...

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感想


日本の映画やテレビドラマって、私たちの国の文化上、漫画を原作にしたものが多いじゃないですか?
で、やっぱり長く続くものである漫画の中から必要なシーンを短縮してギュギュッと詰め込まなければいけない映画とかは特に、原作を以下に忠実に表現してるか、原作のメッセージを正しく伝えてるかっていうところが良さの指標になっちゃってたりするわけですが。

けれど漫画というものをほとんど読まない私は、原作との違いによって評価される作品たちを目にするたび、「でもメディアが違う以上、映画は単品で評価されるべきなんじゃないのかな...」なーんて思っちゃったりしてたんですけれども。

しかし、やっぱり原作を読んじゃってて、なおかつそれが大好きな作品だったりしたら、原作と映画の違いってどうしても切り離して考えられないものなんだなあ...と、この映画を観て思いしらされちゃいました。

今作「聲の形」は、聴覚障がいのある少女と、一人の少年、そして彼らが出会うことになる仲間たちとの心の交流を描いた物語。

原作は普段マンガを読まない私でも、心にグサグサ刺さってくるようなキツくてエグみと、でもそんな痛みを持ってでも、人生は素晴らしいと伝えてくれる物語にグイグイ引き込まれる、苦しくも美しい作品なんですよ。

そしてキャラクターたちに「声」が与えられ、音のある「映画」という世界に移行された劇場版は、作画のあまりの美しさと優しい世界観には思わず意識を奪われてしまうほどだし、
劇中で何度か使われる水の波紋が登場人物たちの心の奥にある不安や「気づき」をうまく表現していたりと、演出の巧さは特筆もの。普通のアニメ映画じゃちょっと見られないですよ、というくらいに素晴らしいものなんですね。

だけどなんだかなあ。この映画、確かに素晴らしいところはありつつも、観終わって一番最初に頭に浮かんだ言葉は
「消化不良」
だったんですよね。これは原作と別物として、できるだけ切り離して観た場合にもそうなんじゃないかなあと。

ということで今回は、私のいつものスタイルとは違うのですが、私が見つけたいいところ/ちょっと疑問に思ったところを3点、箇条書きでお話ししていこうと思います。

今回はネタバレ多いのでご注意を...

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石田くん乙女説だよ!


今回の物語は、主人公の男の子・石田将也(松岡茉優/入野自由)が彼のクラスに転校してきた女の子・西宮硝子(早見沙織)をいじめたことがきっかけで動き始めるんですが、

映画版では石田くんが西宮さんをいじめた動機付けが弱い気がしたんですよね。
というより、映画版での石田くんのキャラを見てると、むしろいじめをやるような人じゃなくないですか、っていう。

石田くんはクラスメートの島田くんと広瀬くんと毎日やんちゃしてばかり。それは映画版のオープニングでも描かれるのですが、定番のプロレスごっこや、橋の上から川に飛び込むような度胸試しをしたりなど怖いもの知らず。

原作ではその理由を、「退屈」に勝つためと説明されていて、西宮さんをいじめ始めた理由も、子どもだった彼にとっては耳が聞こえない人間なんてまるでエイリアンのように見えて、
彼女をいじめることは彼に取って「ナメクジに塩をかける」ことと同じ。自分の退屈を紛らわせるための「正しい使い方」と言っていたんですね。

映画版でも根っこの部分は同じだったはず。でも、劇中では西宮さんの初めての自己紹介の時、先生が彼女の耳が不自由であることを説明した時に「キターーーーー!!!」と一言叫ぶだけ。映画版だけ観た方は、一体何が「キタ」からいじめたんだか不思議に思っちゃうんじゃないですかね。

ここら辺、やっぱり映画にするには石田くんの設定があまりにエグすぎるってことだったのかなあと勘ぐってしまいました...
っていうか後述しますが、この映画版、原作よりも登場人物みんなのエグさが40倍希釈くらいに薄められちゃってるんですよね。
で、そのエグさを薄めちゃったばかりにみんなが「ただのイヤな人」で終わっちゃってる部分も多かったと思うんですよ。

だんだんと石田くんによるいじめはエスカレートして行って、ついには西宮さんの補聴器を何度も何度も壊しては笑う、なんて大人から見たらシャレにならないほどの暴力に発展して行ってしまうんですね。

その結果、西宮さんは学校に登校できない状態に。
先生方にいじめの事実もバレて、担任の先生から名指しでいじめの主犯と暴露されてしまった石田くんは大ピンチです。
クラスのみんなだって加担してたじゃん、という申し立ては、クラスメートたちの白々しい言い訳によってあっさり打ち消され、彼一人がいじめっ子だったということこそが事実だとされてしまいます。

その後、いじめの対象は石田くんへと移ります。
それまで仲良しだと思っていた島田くんたちから散々暴力を振るわれ、中学校になっても「あいつはいじめっ子だから近づくな」などという噂を流されて、石田くんは友達が一人もできない中学校時代を送ることとなります。

高校に上がり、もはや誰のことも信じられなくなった石田くんは、周りの人たちの顔を見ることができず、すべての人の顔にはバッテンマークが浮かんで見えてしまうのです。

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これは原作でも印象的な演出なんですが、動画で見るとよりいっそういびつさと孤独感が強調されて見えますね。

石田くんは目だけでなく耳も塞いでいないと自分を保っていられません。

みんなが自分の悪口を言っているように聞こえてしまうから。みんなが俺のことを嫌いなら、俺だって思えたちのことが嫌いだよ、という閉ざされた心が表出化したといえるでしょうか。

原作だと石田くんは、みんなの話している内容に対して攻撃的な意見を思い浮かべて、
自らみんなのことを嫌いだと自分に思い込ませていて、その象徴としてバッテンマークが出てくるんですが、

映画版の石田くんはもうちょっとナイーブ。小学校時代の経験から自分に自信が持てず、みんなから自分が嫌われているっていうことに卑屈になっている、ちょっと弱々しいキャラになってるんです。これはけっこう大きな違いですよ。

その分しぐさもちょっと乙女っぽくなってたりとか。「ああ~、オレ今気持ち悪かったよな!」なんて慌てる時の仕草とか、涙を拭う時の仕草とか、完全に女子だったじゃないですか。萌えポイントは原作より格段にアップしているんじゃないかと。

で、石田くんは自分の人生のあまりの不毛さに、自分が西宮さんをいじめたせいでお母さんが払うことになった賠償金をバイトして返して、その後に自殺しようという計画を立てていたんですが...

その前に最後にやるべきこととして、西宮さんに会いに行くことを決意するんですね。
自らの罪を償うため、手話も覚えて、西宮さんがいるという手話教室へと足を運び、2人は再会。

そこから物語は大きく動き出すのですが...

映画版では西宮さんに会いに行くための動機もちょっと弱い気がします!

っていうのは、小学校時代、いじめっ子からいじめられっ子へと逆転してしまった石田くんは、落書きされ放題だった自分の机を、自分の代わりにせっせと拭いてくれている西宮さんの姿を見てブチ切れ。二人は殴り合いの喧嘩をするんですが...

実は原作だと、石田くんの机を拭いてくれていたのが西宮さんだったという事実が発覚するの、西宮さんが転校してからなんですよ。
それを知って石田くんは自分のしてきたことの重さに気づき、それが西宮さんに最後に会いに行こうという直接的なきっかけにつながっていきます。

だけど映画版だと、どこでそんなに強く罪の意識を覚えたんだろう...っていうのがちょっと弱かったかな、というのが残念でした。



やなやつ、やなやつ!


自分が壊してしまった西宮さんの幸福な時間を取り戻すため、石田くんはどんな努力も惜しまず、西宮さんの本当の笑顔を取り戻そうと奔走します。

その過程で彼は、新たな、そしてかつての友人たちとの絆を築いていきます。

明るいようでいて実は友だちのいない嘘つきな、映画好きの永束くん

心優しく、小学校時代唯一、手話を習って西宮さんと向き合おうとするも、それが原因でいじめにあって不登校になった佐原さん

小学校時代、石田くんと中心になって西宮さんをいじめていた植野さん

西宮さんへのいじめを見て、悪口を言ったりしていながらも、「私はあんなに止めたのに」と涙を使ったりと八方美人で偽善者のような立ち回りをする川井さん

石田くんと友だちになりたい、と自ら接近してきたちょっと不思議なイケメン・真柴くん

そして西宮さんの自称彼氏? 結弦

などなど、個性的な登場人物たちが2人と深くか関わっていくこととなります。

でね、この人たちがみんな、えげつないゲス野郎どもなんですよ。特に以下二人。

植野さんは高校に入ってからも西宮さんに罵声を浴びせ暴力を振るうし、

川井さんは自分だってどう考えてもいじめに荷担してるのに、大事な場面では涙を使って言い訳で切り抜けたりととんでもない奴らなんですね。

原作では彼/彼女らがどうしてそういう性格になったのか、そしてこの物語を通してどう成長したのかが細かく描かれるために、最終的にはみんなのことを大好きになって終われるのですが...

映画ではやっぱりそんな尺は取れませんよね。せめて彼らがいた爪痕は残さないと... ということでしょうか、
彼らが行う嫌~な行為だけはそのままに描かれ、バックグラウンドはほぼ全く描かれないまま終わっちゃうんですね。

劇中後半、そんな彼らの行動が引き金となってグループ内での大喧嘩が起こります。

原作ではその喧嘩のあと、彼らがどうやって日々をすごし、どう反省して前を向いたかを描いた上で彼らは再び絆を取り戻すんですが、

映画ではラスト、なんでかみんなが石田くんをふわっと許す感じで終わっちゃうので、「ああ、石田くんの友だちってみんな嫌な感じのやつばっかりなんだな~」って終わっちゃって、なんだかスッキリしないんですよね
...

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映画、作ろうよ!


そして個人的に一番残念だったのは、みんなで映画作ろうぜ! っていう展開がバッサリ無くなってたこと!!

ちょっと待ってくださいよ、「聲の形」って、バラバラな仲間たちが一本の映画を作る過程で心の交流を深めていくっていうストーリーが中心だったんじゃあ...

映画版では彼らが単純に遊園地に遊びに行ったり、特別な目的もなく集まって話して喧嘩して、っていう部分だけを切り取って使用しているもんだから、

「そもそもこの人たち、なんで仲良くしてるの?」っていうのがちょっと不思議に感じられちゃったんですよね。

...とまあまあ、色々と原作との違い述べて不満を漏らしていくのは簡単なんですが、そんなくだらない不平不満なんかより語るべきことは、一本の映画として面白いのか? というところだと思います。

最初の方で上で述べたように、作画は本当に素晴らしく、背景だけでなくキャラ一人一人の表情の細かい動きにかけてまでほぼ完璧。

特に石田くんと西宮さんの笑顔、泣き顔はそれだけで涙を堪えられなくなるほどだし、

一分一秒も無駄にせず、テンポよく、限られた時間の中で石田くんの成長に的を絞ったのもいいと思います。

ただ、それならもう少し、極端に言えばキャラクターごとちょっと絞ってもよかったかなあと。

魅力的なキャラクターが多く登場するなか、一人一人の行動原理みたいなものの説明が足りなくて、
「なんか変な人だなあ、怖い人だなあ」で終わってしまってたところに消化不良感が否めなかったかな、というのが正直な感想でした。

ああ、でもこんなに長い感想書いたのって、けっこう久々ですよ。しかも、いつも以上に心のままに書けたような...

こんなに心を掻き乱されちゃってる時点で私の負けなんです。

私はこの映画に納得がいってないけれど、少なくとも自分の心のなかに「何か」を残した映画であることは、間違いないんですよ。

ああ、悔しいなあ。
悔しいけど、もしかして好きってことなのかな。この映画が。





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Theme: 映画感想 - Genre: 映画

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