マダム・フローレンス! 夢見るふたり (Florence Foster Jenkins) ネタバレあり感想 自信を持って。

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オススメ度 ★★★



あらすじ


ニューヨーク社交界のトップとして華やかな毎日を送るフローレンス・フォスター・ジェンキンス(メリル・ストリープ)は音楽を愛する女性。
夫のシンクレア・ベイフィールド(ヒュー・グラント)が司会を務める音楽ショーでは、音楽の力について語りながら涙をこらえきれなくなるほどだ。

そんな彼女は、ソプラノ歌手を目指して自宅で毎日練習を続けているが、その歌唱力は音痴というしかないレベルであった。

シンクレアは、マスコミを買収しては自分が音痴だということに気づいていないフローレンスを傷つけないよう奔走している。

ある日、フローレンスは自分の伴奏者を雇い、コンサートをやりたいと言い始めるのだが...

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感想


超絶音痴な歌姫、フローレンス・フォスター・ジェンキンスさんの実話は、実は今までに何度か舞台やミュージカルにされていたようなんですが、私はこの映画を観て初めて知りました。

超音痴なのにもかかわらず、ニューヨークでも歴史あるコンサート会場であるカーネギーホールを満席にしてしまったという嘘みたいな実話を映画化した今作「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」は、「笑って泣ける」という言葉がまさしくピッタリな、喜劇と悲劇の中間をうまく表現した作品となっています。

タイトル通り物語の主人公であるジェンキンスさんは、1940年代マンハッタンの社交界で輝く女性。
というのはつまり、彼女が様々な団体に高額な寄付をしているという意味で。彼女と、彼女の夫でありマネージャーのシンクレア・ベイフィールド(ヒュー・グラント)が開く音楽劇の会場には、マンハッタンの中でも選りすぐりの高貴な方々が溢れています。

劇の中でジェンキンスさんがもらっている役といえば、天使やらジャンヌダルクやらの格好をして、自分ではセリフを発することもなくただ表情を作って立っているだけ。彼女はそれだけで周囲の人間から尊敬され、素晴らしい人だと称えられながら生きてきたわけです。

ただ立たされているだけの自分に対して、ジェンキンスさんも違和感を持っているということは、壇上での彼女の微妙に引きつった表情から明らかではありますが。

けれど、彼女が音楽に対して抱く愛情は本物。ステージが終わった後のスピーチでは、音楽の力について語りながら涙を抑えきれなくなるほどで、それを夫のシンクレアさんも充分に理解しています。だからこそ、シンクレアさんもジェンキンスさんを守ろうと必死になっているわけですね。

ジェンキンスさんを演じるメリル・ストリープは相変わらず役作りの鬼なのか、ジェンキンスさん本人を見たことのない私にも、彼女がまるで画面の中に生きているかのような感覚を与えてくれるのでした。

だってこの役、もしかしたら観客である我々にとっても笑いの種、好きなのに下手であるということを笑いに変えてしまう
ような存在にしかなりえなかったかもしれないのに、

なんと彼女に生き生きとした感情を与えて、映画の最後の一瞬まで彼女の生き様に心を動かされずにはいられない、魅力的なキャラクターにしているんです。「マンマ・ミーア」など数え切れないほどの映画でその美声を披露してきた彼女が歌が下手なわけがないんですが、今回はユーモラスな範囲でピッチを外して歌うという、やっぱり歌が上手い人でこそできる技を披露してくれています。

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しかし、昔から分厚い殻に守られてきたジェンキンスさんは夢の中を生きているようなもの。

彼女が出る舞台には理解ある知り合いしかこないように手配され、悪評を書こうとする記者はみんなお金の力で封じ込められ、ソプラノ歌手としての練習を行う際には世界最高峰の指揮者が彼女におべっかを使い続ける...つまり彼女は現実を知らず、本当に自分は歌がうまくて才能があるんだと信じ込んでしまっているわけです。

ある日彼女は、自分のコンサートを開きたいと提案。シンクレアさんはそれに反対するのですが、「私がやりたいと言ったらやるの!」レベルの勢いで迫ってくるジェンキンスさんを押し切れず、なんとか理解者と、金で買収できる新聞社の記者だけを招いたコンサートを開くことを決めます。

そこで必要になるのが伴奏者。雇われることとなったコズメ・マクムーン(サイモン・ヘルバーグ)は、ジェンキンスさんのあまりの歌の下手さに衝撃を受け、自分のキャリアのためにもコンサートには出たくないと言い張りつつも、嫌々ながら出演することに。

マクムーンさん役の「ビッグバン・セオリー」で知られるサイモン・ヘルバーグもまた、最初のコンサートでジェンキンスさんの伴奏者として出演することに対する恥ずかしさを表情に爆発させたり、ちょっと挙動不審な感じの動きをしつつも、家ではボディビルの選手を目指すなど強い男になろうとしていたというギャップなどで大きな笑いを届けてくれます。

で、やっぱりコンサートでのジェンキンスさんの歌はやっぱり酷いもので、歌っている時に曲に込められた感情を表現しようとしている時の動きもなんだかぎこちない。全然勉強も何もしてないじゃん! みたいなもの。観客からは笑いが漏れましたが、フローレンスの耳にそれが届くことは(ほとんど)ありませんでした。

それどころか、買収した新聞記者たちが描いた提灯記事のおかげで、ジェンキンスさんは自分がやっぱり凄い歌手なんだと自信を強めます。彼女は自分のレコードを出したいと言ったりとどんどんエスカレートして行ってしまいます。

この映画、まあこれが現実ということなのかもしれませんが、登場人物達がけっこう自分勝手な人ばっかりなんですよね。

甘やかされて生きてきたジェンキンスさんは単なるわがままさんに見えることもしばしばあるし、

夫のシンクレアさんは「妻に人生を捧げてる」と言いながら若い女優と不倫して、しかもその女優と暮らすために家まで借りてるし(もちろん家賃はジェンキンさん持ち)、「妻は理解してるから」なんてわけわかんない嘘をついてるしとけっこうな最低野郎だし、

伴奏者のマクムーンさんは、最初は嫌がっていたものの、ジェンキンスさんの人間性を知るにつれて彼女に協力したいと思って...かと思いきや、最後のコンサート直前まで出演を嫌がってたり、最後にジェンキンスさんに優しい言葉をかけた時、「私の遺産を分けたいの」と言われたら小さくガッツポーズしてたりとか、言葉にできないいやらしさが覗いてたり。ここはお金でないと自分の愛情を表現できないジェンキンスさんの悲しさを表しているのかもしれませんが。

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彼女が自費で友人に配るために作ったレコードはラジオ局にも送られ、彼女の歌声は予想外の大ヒット。
特に時は戦時中。心も体も消耗しきった帰国兵たちから、彼女の歌をもっと聞きたいというリクエストが殺到することとなります。

私の歌で彼らを元気付けてあげないとと思い立ったジェンキンスさんは、マンハッタンでも暦あるカーネギーホールでコンサートを開くことを決めます。

しかしそこで彼女を待ち受けていた現実は、今まで彼女が生きてきた幻想の世界を一瞬にして打ちくだくほどの過酷なもの。その顛末はぜひご自身の目で見届けていただきたいところですが、この作品が言いたかったことはここに凝縮されていたのでした。

「みんなは私の歌が下手だということはできるけれど、誰も私が歌わなかったということはできない」
そういうことです。自分がダメだと悟ってやめてしまっては何も残らないけれど、とにかく何かをすれば、必ずそこに何かが残るっていうこと。

だからこそ、自信がなくたって自分を外に表現していくことをやめてはいけないということなんです。ジェンキンスさんの場合は、本当に自分がすごい歌手だという自信があったからこそかもしれませんけど。で、自分に自信を持つって大事ですね。



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